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日本居合道協会

日本居合道協会

2003年エストニア報告

昨年、初めて高田先生がエストニアに行った時
現地の新聞記者のマルティン・ゴリス氏のレポートをご紹介します!

   考えるよりもすばやく動く高田先生

    日本剣術の有名な師匠、タリンで講習を行う

 マルティン・ゴリス(執筆者)

4台目のカメラが司会者とゲストを撮っている。
高田先生が伝統的な日本語で話しそれがエストニア語に通訳される。
時は刻々と流れる。生放送なので緊張感に包まれている。
高田先生とマルコ・レイコップが居合道をテーマに話している。
しかし、お互いの言語以上に、彼らの世界があまりにも異なっているため
理解し合う事が難しい。 朝番組の名前は「テレヴィジョーン」
高田先生にとってエストニアで第一日目の朝である。
「実際に真剣を使わなければいけなかったことはありますか?」
と、レイコップが聞く。答えは否である。他の質問への答えと違ってこの答えは即答であった。師匠は緑と黒の武道着まとっていて作法は日本の貴族を思わせるような完璧で精錬されたものだった。

   空中を切る儀式

朝が終わり、そしてTV撮影の時間が終わる。
次は稽古と実演が行われ、その後少し遅い昼食の時間が設けられた。
先生は活動的な方である。先生は広島の橋の上にいらっしゃるような、お年を召した元気の無い方ではなく、とても元気な方で、稽古に参加したエストニア・フィンランド居合道会の方々よりもむしろ元気いっぱいである。
高田先生とヨーロッパ人の動きの間には本質的な違いがある。
先生の動きには偶然性はない。 先生の体中が緊張感であふれている。
先生には、ヨーロッパ的な緩んだ部分が微塵もない。
「居合道において、外国人が、日本人を超える事はなかなか難しい」
昼食の時、先生はこうおっしゃった。
後ろの窓から太陽の光がブロンズ色の頭にあたっている。
そしてその横には、他の人々が居て、つまり、2次元の世界が広がっている。
「外国人は日本人と異なっている。ヨーロッパ人が神道教徒となることや
日の昇る列島に於いて真の居合道家となることは大変難しい」
精神的な生活面ではどのように過ごされているか、と言う質問に対して
「入浴・読書」というお答えが返ってきた。
質問に対して先生は長い時間をかけてお答えする!
我々の時間の概念と先生のは違う。 先生にはヨーロッパ的なもろさはない。
先生には無駄なところがない。 先生は日本語しか話さない。
しかしそれは、先生にも他の人にもまったく問題とならない。
先生はまるで神聖な器の如く皆に尊敬の的である!
「敵は見えない。しかしその見えない敵と戦うのだ」
高田先生はこうおっしゃった! それについて考えれば考えるほど精神分裂的ではないと思えてくる!居合道とは儀式なのだ!空中を切る儀式なのだ!
刀を鞘に納める前に想像上の血が拭い去られる。

  考えることは邪魔になる

居合道の運動学上の力学に基づき、すばやく動き、ブレーキをかけることによって
自分を操る事ができる。すばやく動き、斬り、ブレーキをかけ、ポーズをとり、
又すばやく動き、斬る。上手く表現するのは難しいが実際見ればどのようなものか
よくわかる! それはまるで漢字を書く時と同じである! 1文字ずつ書かれていく白黒の書道のようである。同じ漢字でも全く同じようには2度と書く事が出来ない。その点においては居合道の形も漢字と同じである。 形を作る時は何も考えない!考えると動きが遅くなってしまう。考えることを忘れなければいけない。無我の状態になるのだ!そしてその無我の状態で、考えよりも早い高田先生の刀が空中で弧を描くのだ。そこには何もない。敵も、観衆の驚きも、ホールを飾るインテリアもない。そこにあるのは高田先生と先生の形のみである。居合道は好戦的な舞踊であると言えるかもしれない。しかし居合道は攻撃的なものではなく、私にとって居合道は単なる舞踊のように思える。 「居合道は舞踊ではない。」と高田先生は通訳を通しておっしゃった。 しかし、ある意味では居合道は舞踊であると言えるとも先生はおっしゃった。ある特定の人には。しかし、高田先生にとってはやはり居合道は舞踊ではない。「居合道はバレエではない。それぞれの動きにはそれぞれ具体的な意味がある」 と先生はおっしゃる。私はあえてバレエのポーズが持つ意味については議論しなかった。高田先生はジェスチャーと共に生き生きと話される!私にとってその話し方は、典型的な日本人の話し方ではないと感じた!
後に、エストニア居合道会の人々からも、先生は決して典型的な日本人ではないと聞いた! 先生の誠実さは真のものであり、偽りではないと、皆が言う!
誠実さとは、過度の丁寧さや優美な崇拝によるものではない。
形を作る時の先生の顔は、別人のようである!先生の口の形が変わる。
突如先生が近寄りがたい存在のように感じる! まるで侍のようである。
後に、侍は庶民的な存在であるかと言う質問を先生にしてみたが、かえって混乱を招いてしまった。(注:先生のお答えは明快でしたが、混乱したのはこの記事の担当者です)
「侍は大名の家来である」なるほど。先生は誰の家来でもない。
とすると先生は侍ではない。これが次に先生にしたかった質問である。高田先生は考えるよりも、すばやく動く。先生はあらゆる面ですばやく動く。

   居合道とは?

居合道は、日本伝統剣術に属する武道の一種で、形と呼ばれる刀によって
作られる!動きのパターンを、単独で鍛錬する武道である!
形は大きく分けて4種類!
★刀を鞘から抜くこと!(抜きつけ)
★斬ること (斬りつけ)
★刀から血をふるい落とすこと (血振い)
★刀を鞘に戻すこと (納刀)
居合道の始祖は、林崎甚助重信である(1546年~1621年)
彼によって剣術の精神的な面が強調される!
居合道にとって最も重要なのは、各動きの清らかさと自分と周りとの
ハーモニーである!



































































































    


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